離婚前のこと⑫離婚のとき

死ぬことを考えたのは、自分にかけていた保険があったからです。

受け取りを母に変えて、息子は実家に預けて、、、でもどうやって死ねばよい?自殺では保険金は出ないかも、、、と頭の中はそればかりでした。

逃げたくて死を選ぼうとしていたわけではなく、それが一番の解決策だと思っていたのです。浅はかすぎて今思えば馬鹿馬鹿しいのですが、そのくらい追い詰められていました。

そんな私をみて母が「今のあなたの死には、なんの価値もないよ。死ぬくらいなら、何としてでも生きて母親を続けなさい」と言ってくれたことで、はっ!となり。確かにそうだ!!今の問題が世界の終わりみたい思っていたけれど、ただお金がないだけで、それは死ぬ気で頑張れば解決すことだと気付きました。

それからすぐに、マンションの管理会社に向かい、謝罪をして少しづつ返していくことで了承をいただき、その月いっぱいで退去する約束をしました。

そして、実家の父が「帰ってきたらいい」と言ってくれました。

マンションの退去を決めたものの行くところはなかったけれど、迷惑をかけてしまった父に自ら頼る事のが出来なかったので、父から提案してくれたのは本当にありがたいことで今でも感謝しています。

その後、離婚届けをすぐに提出しました。

元夫は原因がわかっているのですぐに応じてくれました。

もう信用も何もない元夫とお金の話をする意味がないような気がして、養育費等の協議はしていません。

裏切り発覚から数日で一気に離婚となりましたが、少しずつ準備していたおかげで、息子は穏やかに受け入れてくれ混乱させることはなかったのが救いでした。

離婚前のこと⑪裏切り発覚

パートを終えた後、父から数回着信がありました。

普段、連絡が来る事があまりないので慌ててかけなおすと、大変な事が起こっていました。

実は、事故をしたときに車を廃車にして新たに車を用意したのですが、仕事用の車なのでリースにするために保証人が必要になり、形だけの保証人ということで私の父がなってくれていました。

しかし、内容が違っていたようで、廃車にした車のローンの残価プラス新しい車のローンが上乗せされていたようです。今まで車の購入で保証人が必要だったことなんてなかったので、父もおかしいなとは思っていたようですが、自営業だった事やリースだったことで、そういうものだと思って確認せずにハンコを押してしまったとのことでした。

普通なら絶対しないことですが、昔の元夫は本当に誠実できっちりした性格だったので、父も信用していました。甘いと言われればそれまですが、父は何も悪くないです。

悪いのは元夫とちゃんと確認せずにお願いしてしまった私です。

新しい車のほうは、自営業が上手く機能しなくなりはじめたころに、すでに返還しており、その時に早期返還のために支払った違約金ですべて終わっていたものと思っていました。父にもそのことは説明していました。

ですが廃車にした分の支払いはまだ残っていて全く支払われていないため、元夫の方にはずっと連絡がいっていたそうですが、解決しないので保証人である父の方に連絡が入ったとのことでした。

元夫の言い分は、保証人をお願いしたときは、自分がきちんと支払をすれば迷惑をかけることはないと思っていたのだけれど、思うように仕事が進まず、支払えなかったとのことでした。相談も出来ず悩んでいたとのことでした。

そしてなんとマンションの家賃も払えてないとのことでした。

半年住んでいて、契約のときに2か月分は支払っているので、4か月分支払えてないとのこと。4カ月も家賃を滞納していたなんて震えました。

気付かなった私も最低です。管理会社から元夫あてに封書も来ていたそうですが、私は見れていなくて、連絡は元夫のスマホに来ていたとのことで、今すぐ払うか、退去するか選ばなければならないとのことでした。

とりあえず、全部支払って一旦クリアにしたくて、貯金や生命保険を久しぶりに確認すると、私が生活費から積み立てていた息子の学資用の貯金もなくなっていて、生命保険も解約されていることがわかりました。

そして普段、使っていなかったから気付かなったのですが、婚約指輪も、義母からお祝いで頂いた腕時計も、お出かけ用に少しだけ残していたブランド物のバッグや靴もすべてなくっていました。

もう何もない、、、払えない、、、、すべて無くなったことに絶望しすぎて、先が見えなくてどうすればいいのかわからなくて初めて死ぬことも考えました。

これで今まで保っていた、何とか家族が続けられたらという気持ちがすべてが壊れてしまいました。

離婚前のこと⑩結婚生活最後の半年

引っ越ししてから半年間は、元夫とは大した問題もなく過ごせていました。

生活費の分担は、私のパート代で食費、日用品費をまかなって、光熱費、通信費、家賃など引き落としの分を元夫が支払う感じに自然となりました。

というのも、私が専業主婦だったころ、元夫から支給される生活費で食費や日用品などに私が自由に使っていて、その他の支払いはすべて元夫がやってくれていた名残で、私がパートを始めてからは生活費の支給がなくなっただけの話です。

私のパート代がそんなにあったわけではないですが、困ることもなかったので、そのまま受け入れていました。

たまに言い合いになることもあり、息子からは「お母さんがいつも笑顔でいてくれるなら離婚をしてもいいよ」とやっと離婚の許可をもらえましたが、

私はここの生活が結構気に入っていました。

離婚前のこと⑨引っ越し

引っ越し先のマンションは私が探しました。

持ち家が3LDKSでしたが、引っ越し先のマンションは1LDKのところにしました。

そのマンションのことは「他のこと」のカテゴリーで書いています。

部屋数を減らしたことで、大量の断捨離をする必要がありました。

持ち物は最小限にするために、知り合いに家具を譲ったり、服やバッグもメルカリや古着ショップで売り、最終的には、近くのクリーンセンターに持ち込んだりして、減らしました。

持ち物を最小にしたくて、わざと小さいマンションを選んだのもあります。

離婚したときこの時に荷物を少なくしといてよかったと心底思いました。

このマンションがとても気に入っていたので、離婚せづこのまま住み続けてたいと思ていましたが、この半年後に、離婚して退去することとなりました。

離婚前のこと⑧家を売る。

信頼出来る不動産屋さんを知らなくて、ローンの支払をしていた銀行で、不動産屋さんを紹介してもらうことにしました。

銀行の方とは元夫が事故をした時も、相談にのってもらい良くしてもらっていたので安心してお願い出来ました。

結果、とても迅速に動てくださって、相談から1カ月ほどで売れました。

土地の価格が上がっていたらしく、なんと購入した金額よりも少し高く売れました。

早速、仕事用のマンションを解約しようとした時、家賃が数カ月も支払われていないことが判明。すぐに払って無事解約できましたが、昔の元夫はお金に対してきっちりしていて常に計画的に管理していたので、この事はとてもショックでした。

離婚前のこと⑦引っ越しを提案する

離婚をするにあたり、ローンが残っている持ち家はないほうがスムーズだと考えました。

この時は持ち家と仕事用に借りているマンションがあり、息子は通学路のことを考えて、仕事用のマンションがある学区の小学校に通っていました。

この時、元夫の仕事はほぼ機能していなくて、マンションは息子の通学のためだけに借りている状態でした。

元夫の海外赴任中は息子と二人で仕事用のマンションで生活していて、バス停や電車の駅も近く、お店も多くて、公園もたくさんあって、とても暮らしやすかったのです。

そんなわけで、通っている学区のある賃貸に引っ越したいとお願いしました。

元夫の反応は驚くほどあっさり承諾してくれました。

離婚前のこと⑥仕事をみつける

お金がないと生活が出来ない。。。

出産を機に仕事を辞めて自営業を手伝いつつもほぼ専業主婦だった私に、何ができるのだろうか?

昔は好きなお店で接客の仕事をしていたけれど、今からその仕事をする自信もなく、かといってコンビニやスーパーのレジ打ちもハイテク過ぎてついていける気がしない。。。

なんだかんだ理由を見つけて後回しにしていたとき、ご近所の方から、大手飲食店のセントラルキッチンの仕事を紹介してもらいました。

料理は嫌いではないし、人前に出なくて良いならハードルも低いと思って、勢いで応募したら即採用となり、とんとん拍子で決まりました。

仕事内容は料理人の方が作ったものを、小分けに詰めたり、お惣菜の仕上げをしたり、簡単な軽作業がほとんどでしたが、工場のようなところで学生さん、フリーター、主婦と、いろいろな方が働いておられ、古株の方が幅を利かせていたけれど、適当に合わせとけば、ストレスもなく働けてたいので、離婚後も含めて4年ほど在籍しました。

離婚前のこと⑤意外と快適だった

急に二人の生活になり不安もありましたが、お金を取られる心配もなく、怒鳴られることもない。

義父から十分すぎるくらいの生活費をもらって不自由ない暮らしをさせてもらいました。

毎日夕飯時にテレビ電話をかけてくる元夫は、いつもご機嫌で、多分一緒に住んでいた時より息子と話していたと思います。

息子もそれほど淋しい思いをすることもなく過ごしていました。

この頃もう一度、離婚したい事を伝えましたが、答えはNOでした。

半年後、帰ってきて、3か月後また赴任したのですが、体調を崩してしまったことと、戦争がはじまりそうとのことで早々に帰国となりました。

この海外赴任のおかげで二人で過ごす不安ははぼなくなりました。

後は経済的な問題ですが、これがまたなかなか重い腰が上がらず億劫でした。

離婚前のこと④海外赴任

少しづつ家庭内の雰囲気が悪くなってきたころ

「海外での仕事を頼まれたから、先ずは半年間、単身赴任で行く」と、相談ではなく決定事項で告げられました。

2週間後には出発するとのことでした。

この時、息子は小学2年生でしたがどういう気持ちで受け止めたのか、どんな様子だったのか知ることもしなくて、申し訳なく思っています。

今思えば、本当にこの時は気持ちに余裕がなかったのだと思います。

離婚前のこと③退院後

一度は植物人間になるかもしれないと言われ、7時間に及ぶ手術をするほどの大怪我をしたにも変わらず、後遺症もなく2カ月ほどで退院出来ました。

元夫はいろいろ私にバレたことで反省したのか、当分は大人しく過ごしていたのですが、もともと上手くいってなかった仕事は2カ月休んだことでもっと悪化していたようでこの時くらいから毎月貰っていた生活費を一週間ずつ分けて渡されたり、どんどん減っていきました。

それでも贅沢しなければ、普段の生活の貯えくらいは一年分以上はあったのですが、元夫が事故前の贅沢が辞められず、見栄も捨てることが出来なかったのか、私の財布からも勝手にお金を取っていくようなりました。

私の実家ではたとえテーブルの上に置いてあっても人のものを取るなんてことはなかったので、かなりショックでした。財布の置き場所を替えたり、枕の下に敷いて寝たこともあります。

特に躁状態のときは感情のコントロールが出来なくなるのか、怒鳴って脅してでも取り上げていきました。

そんな状態を、近くで見せられている息子は本当に可哀そうでした。

家族ぐるみで仲良くしていたママ友は、我が家がお金に厳しくなっている状態をを見て去って行いきました。私はそんな人達とは縁が切れてよかったと今では思っています。

この時も、家族のことを誰かに相談することはなく、仲の良い家族のように暮らしていました。