もっと前のこと⑧絶望したとき

元夫が意識を失っている間に、いろんなことが判明しました。

3日後のカードの引き落としが200万円を超えていたこと。(接待費や出張費も込みでしたが、半分は豪遊が原因でした)

開業時から付き合いがあり鬱病時代もずっと支えてくださっていた業者さんとの取引がなくなっていたこと。

仕事は、自転車操業の状態になっていたこと。

鬱が酷かった時に、私が管理して貯めていた運転資金はすっかりなくなっていたこと。

そして1番ショックだったのが順調に見えていたのは鬱が治ったのでなく、躁状態になっていたことでした。

もう薬を辞めてもよかったのに、また鬱状態になるのが怖くて、医師にまだまだ辛い状態であることを伝えて処方してもらっていたとのことでした。

気付けなかった自分も責めたし、弱すぎる元夫にも失望しました。

この時、まだの5歳だった息子に離婚したいと思っていることを伝えました。

元夫のことが大好きな息子には当然反対されましたが、この時から私は離婚を考えるようになりました。

もっと前のこと⑦おかしいことに気付いたとき

その2年間は、仕事も順調で、家も購入して、車も乗り換えて、外食も増えて、元夫だけで夜に出かけることも増えていきました。

上手くいき過ぎていることに何の疑問も抱かず。元夫が前のように戻ったと錯覚していました。

おかしいことに気付いたきっかけは元夫の事故でした。

夜ご飯を食べてゆっくりしていたとき、元夫に連絡が入り出かけていきました。そういうことは何度かあり、それすらも回復してきた証拠だと思っていました。

ただその日は、息子が「行ってほしくない」と駄々をこねたのです。それでも「すぐ帰るから」となだめてまで必死に行こうとする元夫にちょっと不信感を抱きました。

その日の夜中3時ごろ、いきなり元夫から「家の近くで事故ったから来てほしい」と電話がありました。

現場に行くとすでに救急車の中で血まみれになっている元夫がいて、私が着いたことを確認してすぐに気を失ってしましました。

鬱になった時から、元夫はお酒を断っていたので飲酒でもなく何故こんな事故を起こしたのか私は混乱していました。同乗者がいなかったこと、単独事故だったことが不幸中の幸いでした。

数日間、意識が戻らず、植物状態になる可能性も伝えられましたが、なんとか意識が戻り話せるようになったので、聞いてみると、ここ数カ月、眠れない日々が続いていたとのことでした。

原因は居眠り運転でした。顔面の骨が二つに割れ、体の至る所が骨折するほどの大怪我でした。

このことで元夫の顔が変わってしまい、昔の優しかったころの面影が薄れたことも離婚の原因の一つです。

もっと前のこと⑥回復していると思っていたとき

息子が2歳を迎えるころにはほとんど普通と変わらずに行動できるようになってきました。

まだ薬は飲み続けていましたが、気分の浮き沈みはほとんどなく毎日ちゃんと仕事が出来て、車で日帰り出来る出張ならいける程度になり、すっかり息子とも仲良く、もちろん手を挙げることもなく、もう大丈夫って思っていました。

そんな感じで3歳を迎え息子が幼稚園に通いだし、今までずっと家にいた私も行動的になり、友達と出かけたり、ママ友との付き合いもあり、元夫との時間が減っていきました。

何かおかしいと気付いたのは息子が年長さんになったころでした。

もっと前のこと⑤鬱の始まり

鬱かもしれないと心配になっていたころ、元夫の親戚から勧められた病院で受診して薬を処方してもらいました。

その薬を飲んだ後、すぐふらふらになり倒れたので、医師に連絡するも、そのまま飲み続けてくださいとのことでした。

3か月ほどは、医師の指示に従っていたのですが、どんどん酷くなっている気がしてセカンドオピニオンをすることにしました。初めの病院を紹介してくれた親戚に文句を言われたけれど、別の病院で受診したのは結果的に大正解でした。

親戚には、私からちゃんと説明をしたのですが、その後の関係はしっかり最悪となりました(笑)

新しい病院に通い始めてからも、初めの薬はすぐには辞めれず、よくなったりやっぱり駄目だったりな日々は続きました。

私としては、まだ息子が生まれたばかりだったので、たとえ寝込んでいたとしても、本当なら月の半分は出張に行ってしまっていた元夫がずっと家にいてくれることが心強かったです。

気分が良い日は、息子の世話を進んでやってくれたり、少しづつ息子への愛情は芽生えているようでした。

やっと初めの薬から解放されて、新しい薬にも慣れてきたころ、息子は1歳になりました。

そのころには、散歩に出かけたり、少しのお出かけなら出来るようになって仕事も調節しながら続けて少しづつ自信を持てるようになっていきました。

この時、鬱病の知識が全くなっかた私が読んだ本です↓


うつになったツレさんの描写がとても可愛くて、鬱病の人がどのように辛いのかが理解できる本です。

難しい本を読むよりずっと穏やかな気持ちで読めました。

鬱病の家族を持つと、うっかり一緒に鬱になることがあるのだそうですが、ふんわりでもよいので知識をつけて、大きな気持ちで見守れた事で私は大丈夫でした。

鬱病だった元旦那も読める本でした。

もっと前のこと④元夫を苦しめていたもの

元夫の産みの母は3歳の時に病気で亡くりました。

そのことで、義父はすごく病み、毎晩のように酔っては、元夫に暴力を振るっていたそうです。

「お前のせいでお母さんは亡くなったんだ!」その言葉を投げかけながら殴られ、蹴られ、投げられるの繰り返しは、3歳の時から10年くらい続いたそうです。

母親代わりとしてお世話をしてくれた祖母も、夜には帰ってしまうため、6歳の兄と怯えながら暮らしたそうです。密かに気づいてくれてた親戚の方もいたそうですが、世間体を気にしてか見て見ぬふりをされていたそうです。

新しいお母さんが出来たときは落ち着いていたそうですが、離婚するとまた始まってしまい、それは元夫が中学のとき、自分を守るために始めた柔道で力をつけるまで続いたそうです。

それでも、自分が義父より強くなり、いつでもやり返せると自信がついてからは、そんなことはすっかり忘れていたと言っていました。

出産前に、たまたま酔っ払っている義父と出会って一緒になったとき、話の中で、いきなり義父が放った「お前のせいでお母さんはなくなったんだ!」という言葉を投げかけられ、そのことが、きっかけで思い出したそうです。

義父のように子供に手をあげてしまうかもしれない、愛情を持てなかったらどうしようと思って不安だったとの事でした。

元夫は優しくて、私や両親のことも大切にしてくれたり、すごく頼りになる存在だったので、そんなことにはならないと、何度も説得したのですが、なかなか不安は消えず、その後、鬱になってしましました。

もっと前のこと③出産後

産後すぐは、私が心身ともに疲れているのを、気遣ってくれていた様したが、1カ月くらい経ち落ち着いてきたときに、いきなり元夫から「息子を可愛いと思えないのが辛い」と告白されました。

父親って、そんなものなのだろうか?と思いつつ

可愛いから育てるわけではない、子供を授かったのだから育てるのだと諭しましたが、納得はいっていなかったようで、そういうことではない理由を、伝えられました。

もっと前のこと②息子を妊娠

結婚して3年ほど経たときに、息子を妊娠しました。

ずっと待ち望んで、やっと授かったこともあり、私は浮かれていました。

状況が変わってきたのは出産1か月前のことです。

私が出産子育てに向けて仕事を辞め、元夫がしている自営業の手伝いをは始めたことで、出張のとき以外は、ほぼ一緒に過ごしていました。

その時くらいから「子供を愛せる自信がない」「いい父親になれないかもしれない」と不安を口にするようになっていました。

元夫の様子がおかしいことには少し気づきつつも、初めての出産を控えていた私は、気にしてあげる余裕もなく、受け流してしていました。

仕事が激務になっていたので疲れているのだろう、命の責任を背負うのだから、誰でも不安になるものだと思っていました。

しかし、状況はもっとは深刻でした。

もっと前のこと①始まりのとき

知り合って数年は、元夫はただのお友達でした。数人で集まって会うくらいの関係でした。2年ほど経った時、頻繁に連絡がくるようになり、二人で会う機会が増え、付き合うことになりました。

付き合い始めてすぐに同棲をはじめ3年後に結婚しました。

結婚が決まってから、元夫の実家が代々お金持ちの家系だったこと、割と複雑な家庭環境だったことを知りました。

でも、あまり義両親と関わることはなかったので、問題なく暮らしていました。