離婚前のこと⑦引っ越しを提案する

離婚をするにあたり、ローンが残っている持ち家はないほうがスムーズだと考えました。

この時は持ち家と仕事用に借りているマンションがあり、息子は通学路のことを考えて、仕事用のマンションがある学区の小学校に通っていました。

この時、元夫の仕事はほぼ機能していなくて、マンションは息子の通学のためだけに借りている状態でした。

元夫の海外赴任中は息子と二人で仕事用のマンションで生活していて、バス停や電車の駅も近く、お店も多くて、公園もたくさんあって、とても暮らしやすかったのです。

そんなわけで、通っている学区のある賃貸に引っ越したいとお願いしました。

元夫の反応は驚くほどあっさり承諾してくれました。

鬱のこと③家族の理解を得る

元夫の通院に付き添う為に息子を預かってもらう必要があったので、私の両親にお願いしました。

母は普段からなんにでも協力的で、元夫の鬱病のことも理解しようとしてくれたのですが、父の理解は得られずでした。

「子供が生まれてばっかりなのに、何寝込んでるんだ!」

「男が家族を守れなくてどうする!?」

この父の言葉は、自分がどんな時も頑張ってそうしてきたから出たのだと思います。もしかしたら父も少しは、分かっていつつも、可愛い孫の父親がこんなことになってしまって悔しかったのかもしれない、なんとか奮闘してほしかったのかもしれません。

しかし鬱病とは気合とか気力の部分がどうにもコントロールできない病気なのです。我慢でなんとかなるものではないのです。そんなことは本人が百も承知していて、誰よりも悔やんでいることなのです。

私だって理解出来ないことはたくさんあるし、別に理解したくないこともたくさんある。なので父からの理解を得ることは諦めました。

それでも、私が困っているのと、息子をとても可愛いがってくれていたので、いつも快く預かってくれました。それだけでも十分助けになりました。

家族に読んでもらうのにもおススメです。

鬱のこと②知る

「鬱病の傾向にあります」と医師から聞いたときは、「??」でした。

なんとなく病名は知っていたけれど、「どうすればよいのか?治るのか?どれくらい?」

何もわかないままでは駄目だと思い、手探りで情報を集めようとしましたがネットの情報もいまいち信用できず、私の周りに鬱病の方や、その家族も見つからない状況でした。

実際には、居たかもしれないですが、まだ公に出来るほど世間の周知が進んでいなかったので、どちらかというと隠しておられる方がほとんどだったのだと思います。

やっぱり正しい情報は本のほうがいいと思い、本屋さんへ行くと、すごくたくさんの関係書籍が並んでいて、私が知らないだけで鬱病で苦しんでいる方はすでにたくさんおられることを知りました。

その中で、私が選んだ本がこちらです。

「ツレがうつになりまして。」

漫画になっていて、愛嬌のあるイラスト、ネガティブな雰囲気を最小限にして面白おかしく書いてあり、鬱の方にも読みやすと思います。

これからどんなことが起こるのか、元夫の中では何が起きているのかが、理解しやすくて、自分がどのように見守っていけば良いのか自分なりの答えも出せました。

私はこの本と、医師からの助言と、自身の見解だけで元夫の鬱病と向き合いました。

元夫の病気を知って、いろいろな方から助言や対策をいただきましたが、それを全部やっていたら元夫も私も壊れてしまうので、いったんすべてスルーしました。

もちろん義父には接近禁止令を出しました。

鬱病のこと①書きます。

元夫の鬱病のことを、このカテゴリーで詳しく書いていきたいと思います。

なぜ分けるのかというと、鬱病の話は辛い話が多く、読みたくない方や、理解できずに苦しんでしまう方が多いからです。なので離婚のカテゴリーでは、サクッと流しています。

しかし私の離婚の話をするうえで必要なことなので、私の考え方も一緒に書いていきたいと思います。

苦手な方はスルーしてください。

離婚前のこと⑥仕事をみつける

お金がないと生活が出来ない。。。

出産を機に仕事を辞めて自営業を手伝いつつもほぼ専業主婦だった私に、何ができるのだろうか?

昔は好きなお店で接客の仕事をしていたけれど、今からその仕事をする自信もなく、かといってコンビニやスーパーのレジ打ちもハイテク過ぎてついていける気がしない。。。

なんだかんだ理由を見つけて後回しにしていたとき、ご近所の方から、大手飲食店のセントラルキッチンの仕事を紹介してもらいました。

料理は嫌いではないし、人前に出なくて良いならハードルも低いと思って、勢いで応募したら即採用となり、とんとん拍子で決まりました。

仕事内容は料理人の方が作ったものを、小分けに詰めたり、お惣菜の仕上げをしたり、簡単な軽作業がほとんどでしたが、工場のようなところで学生さん、フリーター、主婦と、いろいろな方が働いておられ、古株の方が幅を利かせていたけれど、適当に合わせとけば、ストレスもなく働けてたいので、離婚後も含めて4年ほど在籍しました。

離婚前のこと⑤意外と快適だった

急に二人の生活になり不安もありましたが、お金を取られる心配もなく、怒鳴られることもない。

義父から十分すぎるくらいの生活費をもらって不自由ない暮らしをさせてもらいました。

毎日夕飯時にテレビ電話をかけてくる元夫は、いつもご機嫌で、多分一緒に住んでいた時より息子と話していたと思います。

息子もそれほど淋しい思いをすることもなく過ごしていました。

この頃もう一度、離婚したい事を伝えましたが、答えはNOでした。

半年後、帰ってきて、3か月後また赴任したのですが、体調を崩してしまったことと、戦争がはじまりそうとのことで早々に帰国となりました。

この海外赴任のおかげで二人で過ごす不安ははぼなくなりました。

後は経済的な問題ですが、これがまたなかなか重い腰が上がらず億劫でした。

離婚前のこと④海外赴任

少しづつ家庭内の雰囲気が悪くなってきたころ

「海外での仕事を頼まれたから、先ずは半年間、単身赴任で行く」と、相談ではなく決定事項で告げられました。

2週間後には出発するとのことでした。

この時、息子は小学2年生でしたがどういう気持ちで受け止めたのか、どんな様子だったのか知ることもしなくて、申し訳なく思っています。

今思えば、本当にこの時は気持ちに余裕がなかったのだと思います。

離婚前のこと③退院後

一度は植物人間になるかもしれないと言われ、7時間に及ぶ手術をするほどの大怪我をしたにも変わらず、後遺症もなく2カ月ほどで退院出来ました。

元夫はいろいろ私にバレたことで反省したのか、当分は大人しく過ごしていたのですが、もともと上手くいってなかった仕事は2カ月休んだことでもっと悪化していたようでこの時くらいから毎月貰っていた生活費を一週間ずつ分けて渡されたり、どんどん減っていきました。

それでも贅沢しなければ、普段の生活の貯えくらいは一年分以上はあったのですが、元夫が事故前の贅沢が辞められず、見栄も捨てることが出来なかったのか、私の財布からも勝手にお金を取っていくようなりました。

私の実家ではたとえテーブルの上に置いてあっても人のものを取るなんてことはなかったので、かなりショックでした。財布の置き場所を替えたり、枕の下に敷いて寝たこともあります。

特に躁状態のときは感情のコントロールが出来なくなるのか、怒鳴って脅してでも取り上げていきました。

そんな状態を、近くで見せられている息子は本当に可哀そうでした。

家族ぐるみで仲良くしていたママ友は、我が家がお金に厳しくなっている状態をを見て去って行いきました。私はそんな人達とは縁が切れてよかったと今では思っています。

この時も、家族のことを誰かに相談することはなく、仲の良い家族のように暮らしていました。

離婚前のこと②まだ離婚が最終目的ではなかったとき

息子には伝えたものの、この時はまだ絶対離婚しようという気持ちではなかったと思います。

専業主婦になってから5年以上経ち、一人息子を育てる経済力どころか一人で生活する甲斐性もない状態。

離婚に向けて準備しつつも、何とかこのまま家族を続けていけないかと常に考えていました。

私の気持ち次第なのですが、信頼を裏切られたことと、家族を顧みず自分勝手な行動した元夫を許すことは、なかなか難しいことでした。

離婚前のこと①離婚に向けて一番にしたこと

離婚したいと思って、一番にしたことは、自分の意思を息子に伝えたことです。

前回も書きましたが、この時息子は幼稚園の年長さんでまだ5歳でした。

離婚という言葉はまだ解らないので、お父さんと別々に暮らしたいとだけ伝えました。

もちろん反対されたので、すぐに訂正しましたが、それなりにショックを与えてしまったことは反省しています。

でも、息子が良いよというまでは離婚しないつもりでいました。

元夫はこの時すでに私が離婚をを考えていたことを知りません。