離婚後のこと③実家へ

離婚後すぐは実家に移りました。私の部屋は物置として使っていた納戸を使わせてもらい、息子は無駄に広い両親の寝室の一部を間借りする形となりました。

3畳ほどでしたが、下に空間があるタイプのベッドを置いて、下に学用品を収納したり、LEGOや本を置いてちょっとした秘密基地のような感じになっていました。

ロフトベッド←こちらから

こんな感じのベッドです。階段下に物が置けたりちょっとした鞄や上着を掛けれたり自分で管理できる環境を作ってあげれたのが良かったです。

間借りということでしたが両親は、寝るときにしか来ないので、ソファもテレビも独り占めできる快適な空間になっていました。

私の部屋はもともと納戸だったのですが、要らないものは整理させてもらい、普通の部屋のように使えていました。

取り合えず、滞納していた家賃の返済が終わり自立できる資金が溜まるまでという期限付きで、実家暮らしが始まりました。

46歳になりました

離婚したときがちょうど40歳になってすぐでした。

自分の誕生日も忘れてしまうくらい忙しくてそれどころじゃなかったあの時と比べて、のんびり楽しくすご過ごせていることに感謝です。

たまたま仕事が休みだったので、母がランチでお祝いしてくれました。

テスト期間中でお昼までだった息子も合流。高校生になってからは部活が忙しくなかなか一緒にお出かけできなかったので楽しかったです。

せっかくなのでお買い物も。。。

ほぼ制服と部活のウェアーで過ごす息子の服は、長く着られるように流行り廃りのないシンプルで丈夫なものを選んでいます。

Bshopで選ぶことが多いです。

今回はDANTONのスエットTシャツ

袖と裾が絞ってあってスウェットの形だけれど、生地は太番手のくらいなので着まわしやすいロンTです。

私のはずっと欲しかったブルゾン

今まではお友達5人それぞれ別で誕生日プレゼントを用意していたのですが、今年から5人一緒にして、ちょっと贅沢なものをプレゼントしようということで、私はブルゾンを選びました。すごく軽くて着易い上に、シルエットが最高に可愛いです。

着心地がノンストレスなところが一番のお気に入り。

一足早く、両親と弟からプレゼントしてもらった財布もとても気に入ってます。たくさんの色の中から、ダークグリーンを選びました。

荷物は必ず持ってくれる息子♡

息子がいるからどんなことも乗り越えて頑張れています。今のささやかな幸せがあるのも息子のおかげ。

本当に感謝です。

離婚後のこと②息子への気持ち

夫婦関係は解消したけれど、息子にとっての二人の関係が変わることはなかったです。

息子が元夫と会うことを制限しなかったのは、その権利が私にはないと思っていたからです。

私は離婚のことを息子に早い段階から話していました、その時に別々に住む以外には何も変わらないと伝えてきました。元夫のことも息子の父親として尊重すると決めていたからです。

息子にとって今後も頼れる人は多いほうが良いと思うし、もし将来上手くいかないことがあったときに、両親が離婚していたからと責任転嫁してほしくなかったからです。

「人のせいにしない」ということは息子によく言うことで、誰かに責任を押し付けても問題が解決することはなくて、その時は人のせいにして逃げきれても、結局また同じ問題が起こると困ることになる、それなら自分がどうすればその問題を防げたのかを考えて反省した方が、同じ問題が起きても最小に防げたり、すぐに対処出来たりするよ。と伝えてます。

この離婚が、息子の人生に何の影響もないとは言えませんが、世間的にはどうあれ、本人には全く関係ないと思っていて欲しかったのです。

ただ、転校しなくてはいけないことに息子はとても悲しんでいました。

この時、息子は4年生で通っていた学校のお友達や先生がとても大好きでした、なんとか通わせてあげられないか、先生と相談して5年生までならと、特例で越境通学させてもらえるようになりました。学区内までは保護者が付き添うという条件付きでした。

その事を知り、元夫は引っ越し先を学区内にしてくれ、朝は元夫のマンションまで私が送りそこから登校し、放課後はマンションにカバンを置いて友達と遊べるようにと、息子の希望を叶えてくれました。

数カ月だけれど、息子にとって心の準備が出来て良かったと思っています。

5年生から通いだした学校では、同じ町内で実家に行たび遊んでいた子と同じクラスになれたおかげで、お友達がたくさん出来て楽しく通えていました。

高校生になり、みんな別の学校になったけれど、今でもたまに集まって遊んでいるようです。離婚してなかったら出会えてなかったと息子は言っていました。

嫌なことや、悲しいことが、あってもその先が楽しければ、それさえも良かったことになるということを学ぶ機会になって良かったと思っています。

結果論ですが。

離婚後のこと①引っ越し

離婚届を出してマンションの退去までの半月は本当に忙しかったです。

引越しは、元夫が出張に行ってるうちに元夫の荷物以外はすべて整理してマンションを出ました。

もちろんそのことは事前に元夫には伝えてありました。離婚してから無駄な争いはしたくなかったので、家族のときは気にしていなかったような常識的な報連相も怠らないようにしていました。

引越しと言っても、本当に少ない荷物でしたが、いろいろ疲れていた時期だったので、引っ越し業者にお願いして良かったです。引っ越し後の片付けもスムーズに終わりました。

離婚前のこと⑫離婚のとき

死ぬことを考えたのは、自分にかけていた保険があったからです。

受け取りを母に変えて、息子は実家に預けて、、、でもどうやって死ねばよい?自殺では保険金は出ないかも、、、と頭の中はそればかりでした。

逃げたくて死を選ぼうとしていたわけではなく、それが一番の解決策だと思っていたのです。浅はかすぎて今思えば馬鹿馬鹿しいのですが、そのくらい追い詰められていました。

そんな私をみて母が「今のあなたの死には、なんの価値もないよ。死ぬくらいなら、何としてでも生きて母親を続けなさい」と言ってくれたことで、はっ!となり。確かにそうだ!!今の問題が世界の終わりみたい思っていたけれど、ただお金がないだけで、それは死ぬ気で頑張れば解決すことだと気付きました。

それからすぐに、マンションの管理会社に向かい、謝罪をして少しづつ返していくことで了承をいただき、その月いっぱいで退去する約束をしました。

そして、実家の父が「帰ってきたらいい」と言ってくれました。

マンションの退去を決めたものの行くところはなかったけれど、迷惑をかけてしまった父に自ら頼る事のが出来なかったので、父から提案してくれたのは本当にありがたいことで今でも感謝しています。

その後、離婚届けをすぐに提出しました。

元夫は原因がわかっているのですぐに応じてくれました。

もう信用も何もない元夫とお金の話をする意味がないような気がして、養育費等の協議はしていません。

裏切り発覚から数日で一気に離婚となりましたが、少しずつ準備していたおかげで、息子は穏やかに受け入れてくれ混乱させることはなかったのが救いでした。

離婚前のこと⑪裏切り発覚

パートを終えた後、父から数回着信がありました。

普段、連絡が来る事があまりないので慌ててかけなおすと、大変な事が起こっていました。

実は、事故をしたときに車を廃車にして新たに車を用意したのですが、仕事用の車なのでリースにするために保証人が必要になり、形だけの保証人ということで私の父がなってくれていました。

しかし、内容が違っていたようで、廃車にした車のローンの残価プラス新しい車のローンが上乗せされていたようです。今まで車の購入で保証人が必要だったことなんてなかったので、父もおかしいなとは思っていたようですが、自営業だった事やリースだったことで、そういうものだと思って確認せずにハンコを押してしまったとのことでした。

普通なら絶対しないことですが、昔の元夫は本当に誠実できっちりした性格だったので、父も信用していました。甘いと言われればそれまですが、父は何も悪くないです。

悪いのは元夫とちゃんと確認せずにお願いしてしまった私です。

新しい車のほうは、自営業が上手く機能しなくなりはじめたころに、すでに返還しており、その時に早期返還のために支払った違約金ですべて終わっていたものと思っていました。父にもそのことは説明していました。

ですが廃車にした分の支払いはまだ残っていて全く支払われていないため、元夫の方にはずっと連絡がいっていたそうですが、解決しないので保証人である父の方に連絡が入ったとのことでした。

元夫の言い分は、保証人をお願いしたときは、自分がきちんと支払をすれば迷惑をかけることはないと思っていたのだけれど、思うように仕事が進まず、支払えなかったとのことでした。相談も出来ず悩んでいたとのことでした。

そしてなんとマンションの家賃も払えてないとのことでした。

半年住んでいて、契約のときに2か月分は支払っているので、4か月分支払えてないとのこと。4カ月も家賃を滞納していたなんて震えました。

気付かなった私も最低です。管理会社から元夫あてに封書も来ていたそうですが、私は見れていなくて、連絡は元夫のスマホに来ていたとのことで、今すぐ払うか、退去するか選ばなければならないとのことでした。

とりあえず、全部支払って一旦クリアにしたくて、貯金や生命保険を久しぶりに確認すると、私が生活費から積み立てていた息子の学資用の貯金もなくなっていて、生命保険も解約されていることがわかりました。

そして普段、使っていなかったから気付かなったのですが、婚約指輪も、義母からお祝いで頂いた腕時計も、お出かけ用に少しだけ残していたブランド物のバッグや靴もすべてなくっていました。

もう何もない、、、払えない、、、、すべて無くなったことに絶望しすぎて、先が見えなくてどうすればいいのかわからなくて初めて死ぬことも考えました。

これで今まで保っていた、何とか家族が続けられたらという気持ちがすべてが壊れてしまいました。

離婚前のこと⑩結婚生活最後の半年

引っ越ししてから半年間は、元夫とは大した問題もなく過ごせていました。

生活費の分担は、私のパート代で食費、日用品費をまかなって、光熱費、通信費、家賃など引き落としの分を元夫が支払う感じに自然となりました。

というのも、私が専業主婦だったころ、元夫から支給される生活費で食費や日用品などに私が自由に使っていて、その他の支払いはすべて元夫がやってくれていた名残で、私がパートを始めてからは生活費の支給がなくなっただけの話です。

私のパート代がそんなにあったわけではないですが、困ることもなかったので、そのまま受け入れていました。

たまに言い合いになることもあり、息子からは「お母さんがいつも笑顔でいてくれるなら離婚をしてもいいよ」とやっと離婚の許可をもらえましたが、

私はここの生活が結構気に入っていました。

離婚前のこと⑨引っ越し

引っ越し先のマンションは私が探しました。

持ち家が3LDKSでしたが、引っ越し先のマンションは1LDKのところにしました。

そのマンションのことは「他のこと」のカテゴリーで書いています。

部屋数を減らしたことで、大量の断捨離をする必要がありました。

持ち物は最小限にするために、知り合いに家具を譲ったり、服やバッグもメルカリや古着ショップで売り、最終的には、近くのクリーンセンターに持ち込んだりして、減らしました。

持ち物を最小にしたくて、わざと小さいマンションを選んだのもあります。

離婚したときこの時に荷物を少なくしといてよかったと心底思いました。

このマンションがとても気に入っていたので、離婚せづこのまま住み続けてたいと思ていましたが、この半年後に、離婚して退去することとなりました。

結婚生活最後の住まい

持ち家は3LDKSとちょっと私には広くて持て余していたのもあって、新居は1LDKのマンションにしました。

こだわったのは大きめの玄関とバルコニー、広いシステムキッチン、各部屋が広いことでした。

LDKにはダイニングテーブルとベッドを置くだけでしたのでとても広く使えていました。

シングルベッドは無印の脚付マットレスにして元夫のベッド兼、日中はソファーとしても使っていました。

無印良品「脚付マットレス」

LDKから続くバルコニーも2畳くらいの正方形で窓も大きくて開放感がありました。

もう一つの部屋は8畳くらいでしたが二つに分けて、私と息子の部屋にしました。

収納もたくさんあったり、狭いので動線も少なくて済み、掃除も楽でしとても気に入っていました。

離婚前のこと⑧家を売る。

信頼出来る不動産屋さんを知らなくて、ローンの支払をしていた銀行で、不動産屋さんを紹介してもらうことにしました。

銀行の方とは元夫が事故をした時も、相談にのってもらい良くしてもらっていたので安心してお願い出来ました。

結果、とても迅速に動てくださって、相談から1カ月ほどで売れました。

土地の価格が上がっていたらしく、なんと購入した金額よりも少し高く売れました。

早速、仕事用のマンションを解約しようとした時、家賃が数カ月も支払われていないことが判明。すぐに払って無事解約できましたが、昔の元夫はお金に対してきっちりしていて常に計画的に管理していたので、この事はとてもショックでした。